「なんでどこいっても、自己愛の人ばかり現れるんだろう……」
50年近い人生を経て、今までを振り返ると、父親、母親、兄弟、パートナー、親族、仕事先の上司、仕事仲間、同僚…恫喝したりコントロールするような支配的な人が次々現れて、近くなっては苦しくなり離れる。それを繰り返していることに、はたと気づいた時がありました。フリーランスで仕事をするようになって数年がたち、ある朝、起きれなくなってしまったのでした。
「なぜ?」という自分の中の叫び声が、どうしようもなく絶え間なく、自分のあたまの中に響き渡るようになりました。
家族に悩み、夫婦関係に悩み、さまよいながら子どもを育て、飛び込んだ組織で無我夢中で働き、フリーランスで働き….気がつけば朝目覚めた瞬間から、生死をさまようような緊張感を抱き、頑張ることがやめられない毎日。もちろんそんなことなど気づかないまま、40代が過ぎていました。いつ終わるのかわからない、頑張り続ける日々と、終わりない存在価値証明への挫折。果てしない無力感。
答えを求めて診療をうけたり、カウンセリングを受けたり、セミナーに行ったり、書籍を読んだり、YouTubeを見たり…全力で自分の人生を生きる選択をしてきたつもりなのに、気がつけばまた次の場に支配的な人が現れ、疲弊し、もがく。
もう頑張れないかも…体に力が入ら頑張れないこと=生きていけないことだった私の、その身体から聞こえた本音。絶望と、それでも力が湧いてこない嘆き。あの底沼の恐怖は、わたしがずっと人生で封印し一番みたくないと恐れていたものだったのかもしれません。
そんなときにふと、心理セラピーを受ける機会が訪れました。YouTubeでずっと見ていた心理学の先生の講演が近隣で開催されることになりました。その場でチャンスがあれば公開セッションを受けられると….。あのタイミングで申し込んで、そしてセッションを受けられたのは、今思うとほんとに奇跡のような、私にとってめちゃくちゃ大きなギフトだったように思います。
前知識のないまま1番に受けることになった心理セラピーは、自分でも思ってもみなかった、でも確かに自分の中にある「感情」や「感覚」を、自分自身のからだに落とし込んでいくもので、直後は記憶が飛んでいたのを覚えています。じぶんの体が、じぶんでは思ってもみないような反応をしたことに愕然とし、同時にわたし自身の中に、わたし自身が知らないままで放置されているわたし自身がたくさんいることに、気づきました。愕然とする出来事でしたが、同時にわたしにとって、じぶんの源から力が湧いてくるような光となりました。
そこから導かれるように、心理学を学んでいます。学びを深めるほど気づきも増し、長年苦しんできた「自分の居場所がない」という自己存在の否定が少しずつ薄れ、自己肯定感の厚みが少しずつ重なっていき、あれほど恋い焦がれ求め続けて来た”安心の場所”は、自分の中にあるんだ、というような感覚を、うそみたいにつかんできています。
このブログは、そんな私の気づきの記録です。未完了の思いをたくさん抱えながらそれでも今ここまで生きて来た過去の自分へのメッセージのように記していけたらと思っています。